4月のぶらりぶらりは、予定通り尾道へ出向いた。
10日の朝、8時23分発の電車に乗るべくホームへ立つと、すでに由美子さんが到着していた。
岡山駅には山陽本線、瀬戸大橋線、津山線、伯備線、赤穂線等々と各線が集結する。幾筋ものホームが平行に並ぶ。それに新幹線のホームを加え、県の要の駅らしい複雑さだ。
同行の仲間は、それぞれの地域から各線に乗って岡山駅へ集結する。私は瀬戸大橋線に乗って岡山駅へ着いた。由美子さんも同じく瀬戸大橋線だが、一便早く着いたようだ。尾道へ向かう山陽本線が通る2・3番ホームで仲間を待っていたのだ。
3番ホームの側に大勢の人が列をなしている。
「こちらは後部座席の方でしょうか?皆さん、前の方に乗られるとか」
「電車が進んで来る方が前じゃないかな」
「どちらの方向から来るのでしょうか」
「どっちかなあ。尾道はどっちかなあ。姫路の方からくるけど、姫路がどっちか分からん」
由美子さんは呆れかえった顔になり、急いで電車を待つ人の列に着いた。
しばらくして、電車が入って来た。由美子さんが颯爽と乗りこんだ。そして、席を確保した。私は小さくなって由美子さんの横に座った。
この電車は尾道へ行かないと内心、私は思っていた。発車が近いことを告げる放送が聞こえた。
「由美子さん、この電車は違うよ。降りようや」
由美子さんは怪訝な顔になった。うっかり出て、電車が発車すると取り残されてしまう。仲間は先頭車両に乗っているかも知れないのだ。
私が電車を出て、しばらくして由美子さんも出て来た。電光掲示板を指さして言った。
「あの電車はなあ、高梁の方へ行くらしいよ。尾道へ行くのは2番ホームへこれからは入ってくる」
このとき、滋子さんが近づいて来た。由美子さんの表情がほっとした感じになった。
JRを利用しての旅には乗り換えがある。終着駅へ着いて、次の電車へ。途中下車して、次の電車へ。
まるで人生の転職のように。再婚のように。
何より人の波に巻き込まれ、流れに押し流され、自分の判断が失くなりそうにも。東日本大震災で、時代の価値観が変って行く今は、見知らぬ都会の駅で人の波に呑まれてしまいそうな時かも。
9時40分、純子さん、ひとみさん、滋子さん、絹江さん、桂之さん、悦男さん、由美子さんと揃って尾道へ着いた。
尾道と言えば、文学の街、映画やテレビのロケ地、千光寺公園の桜などが即座に思われる。なんと言っても、林芙美子の「放浪記」が有名。駅前の東、商店街の入り口には芙美子の像があり、その台座には「海が見えた 海が見える 五年振りに見る 尾道の海は なつかしい 放浪記より」とある。
ロケ地と言えば、ここは大林宣彦監督の出身地ゆえ、(転校生・時をかける少女・さびしんぼう)他の映画の場面が浮かぶ。尾道がロケ地となった映画は、うず潮、裸の島、暗夜行路、憎いあンちくしょう等々、上げてゆけばキリがない。50年以上昔に撮影された「東京物語」には当然、当時の尾道が写されている。この映画の語る<崩れてゆく日本の家族制度>は、まさに50年後の現代のテーマであり、浄土寺の境内で尾道水道を見つめる笠智衆の姿は印象深い。
さて、今日は桜だ。7分咲きか、8分咲きか分からないが、この艶やかさは満開そのものだ。千光寺山が花に埋もれている。
ひとみさん、桂之さんと、昼食兼句会場とするレストランを探して商店街を歩いたが、花見客が多すぎて、延々と句会など出来そうもない。他の面々も探してくれたが駄目だ。平生はガランとした商店街も、今日の人出こそ稼ぎ時なのだ。
「千光寺まで上れば、ちょっとした店があるかも、弁当を売ってるかも」
ロープウエイは使わず、急な坂道を歩いて上ることにした。なんとなく、途中に弁当屋がありそうな気がしたし、句友の佳句が展示コーナーで見られそうだし。
それは花の迷路と言いたいほど複雑に絡み合った道である。この坂道を大勢の花人が上ってゆく。麓には民家。そして、廃屋。別荘。店も弁当屋もなかった。
健脚の悦男さんが、先陣をきって展望台あたりまで行き、弁当屋を見つけ、一同の弁当を確保してくれたので良かったが、弁当も売り切れとなるほどの人出だった。
結局、昼食と句会は、中腹で見た志賀直哉旧居の傍の四阿を使うことになった。
急な石段は下りが危険。若い母親がみどり子を抱いたまま転倒する場面にも遭遇した。まさに花人のラッシュであり、花に視界を遮られる感があった。
尾道は花見句会としては成功だった。降りそそぐ日差しは汗ばむほどであった。
しかし、私が捉えられたのは花ではなく乗り換え駅であった。東日本大震災の後の、時代の乗り換え駅に降り立った私たち。この花の盛りに。
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