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ひとみのふらりふらり
会員 米元ひとみ の雑記帳
  2014年3月 初花の吉備路吟行
月27日 吉備路風土記の丘は、みんなで吟行したかったところだが、句会場にいいお店がなくて保留になっていた。ところが、先日「喫茶始めました」という小さな看板 を民家に見つけた。民家のそばの古墳の映る池にはかいつぶりがいて、鴨が帰った後もまだ可愛く潜っている。池の周りは土筆がたくさん生えていて、Sさんは 一人のおかずになるだけ摘んだ。文化財の茅葺の役場の庭には梅林もある。田んぼ越しには桃畑も見える。羨ましい環境である。

いにしへを想ひしをれば蝶よぎる   Gさん
初花のみるみるうちに咲く日和    Hさん

弁当は外で食べるにかぎると、男性二人はこんな句を詠んでいた。女性陣は、シルクフラワー教室にもなっている瀟洒な造りの部屋で、まわりを眺めつつ頂いた。和室の隅には古いお雛様の軸が掛けられ、茶道のお道具だけが添えてある。

雛の軸掛けてシルクの作品展    Sさん
抹茶碗自分に買うもさくら時     ひとみ

部屋にはシルクフラワーだけでなく手づくりの小物も並んでいる。私はもう一つ欲しいと思っていたお碗を記念に買った。桜の花びらのような絵柄で、陶胎漆器というそうな。

風土記の丘は、梅がはらはらと散り、彼岸桜や連翹、雪柳は今を盛りと咲き、辛夷の大木も二分ほどひらいていた。染井吉野は梢に二三輪。初々しい初桜の吟行となった。


  2011年10月 宇多津吟行
10月9日、<宏己のぶらりぶらり>が、先日句会デビューした祐子さんのお膝元、宇多津の青の山で行われた。私の住む児島からは一駅の宇多津であるが、長々と瀬戸大橋を渡る、ちょっとした旅である。先生始め大方はタクシーで登ったが、健脚のえつおさんと祐子夫妻は寺町を巡りながらの歩き組。古い町は柿の秋の真っ只中。

里山に蔕を残して落つる柿   えつお

青の山には山頂に古墳群がある。その一つに好奇心旺盛な由美子さんが、しゃがんでヨッコラヨッコラ入っていった。神妙な面持ちで眺め回していると、「こ、ここは蛇の巣だったんだぁ!!」と、飛び出してきた。右を向いたら顔のまん前に、蛇の脱け殻がぶらさがっていたと言う。岩の隙間から覗くと、目玉も口もあるそれはそれは純白の美しい脱け殻であった。私など生まれて初めて蛇の脱け殻を見させてもらった。由美子さんのお蔭である。

秋日濃し墳墓に闇の口一つ   宏幸

山頂はひろびろとした草原になっており、北の端まで歩いてゆくと、突然、街と青い海がひらける。我が鷲羽山から見下ろす景色とは全く違う、新鮮な眺め。田園と寺町と埋め立てのビル街の融合した不思議な眺めである。私たちはしばし無言でそこに佇んでいた。

爽やかや下界は地図を見る如く   宏己
ビル街の石畳飛ぶ蝗かな      祐子

弁当を食べた後は、腰を痛めておられる先生を除き皆歩き組となった。普通の人なら黙々と下山する雑木林であるが、俳人は、一本の釣鐘人参も微かな紅葉もトカゲほどの蛇も見逃さない。

櫨の葉の数へるほどの紅葉かな   桂之
十人に見つめられをり穴惑ひ    ひとみ

そんな一途な俳人ゆえか、先頭を下っていたはずの由美子さんが行方不明になってしまった。携帯電話のお蔭で連絡はついたが、分かれ道が多く、居場所が全く分からない。困っていると、「僕が探してきます!」と俳句をしない祐子さんのご主人が、今降りてきた道を、走って登っていってくださった。残りの皆は先に句会場へと急いだ。

しんがりは句作どころでなき下山   宏己

こんな微苦笑俳句を拝ませてもらえたのも由美子さんのお蔭である。ところが、句作どころではなかったはずの由美子さん、迷子になってこんな句を物にしていたのである。俳人魂恐るべし。

鉦叩別の時間を刻みをり   由美子

  2011年10月 後楽園吟行
10月6日(木)、いつも<ギャラリーきんもくせい>で行っている句会が、後楽園へ繰り出した。参加者9名のうち、吟行が初めての者2名、二度目の者2名ということで、先導のギャラリーオーナーの武彦さんは、道中でも句が詠めるよう、峠を越え田園風景の千両街道を抜け、旭川の土手を走って後楽園へ横付けしてくださった。

秋高し名園に子ら飛び回る    武彦

前日の吹き降り、それも明け方まで降っていた雨があがり、澄み切った青空の元、吟行がはじまった。遠足児童たちもさぞやきもきしていたことだろう。子らが飛びまわれるのも、後楽園の売り物である広い芝があるからである。

鶺鴒の芝をたたいてをりにけり    滋子

その芝に、滋子さんは軽快なユーモアで挨拶なさった。滋子さんのように年間パスポートを持っている方から30年ぶりという方までさまざまである。

ひさかたの岡山名所秋風と    浅野純子

武彦さんの配慮で、今回はボランティアのガイドさんが付けられた。馴染みの後楽園ではあるが、おかげで新鮮な気持で園をめぐることとなる。次の一句など、ガイドさんの説明があってこそ詠めたと言える。

蓮の葉の泥が語れる秋出水    ひとみ

ガイドさんの説明を聞きながらも、水の辺の雑草を見逃さない俳人もいらっしゃる。

名園に一輪といふ野菊かな    えつお

まだ句歴三ヶ月で句会初体験、しかもそれが吟行という祐子さんも、ガイドさんの名調子に感銘を受けつつ歩いている。

古の秋もかくなむ後楽園     祐子

そう、祐子さん! 感動があれば句は舞い降りてくれるのよ。この句は、本日の先生の特選となった。

彦さんが句会場に予約しておいてくれた、高床式のお殿様の休憩所<新殿>にて松花堂弁当をいただく。ふたをあければ、松茸の香りがひろがった。隣の茶畑には、走りの茶の花がちらほら。ほのかな金木犀の香り。この最高のシチュエーションの中、私は裕子さんに、自己紹介代わりの高砂をおねだりした。祐子さんは学生時代、勉強より部活の<能>に熱心だったと聞いていたから。

新殿に高砂の声秋高し    京子

朗々とした響きに、座は一気にもりあがった。しかも祐子さんは和服である。和服を愛でる句もたくさん生まれた。

柿紅葉舞ひ込む客も句座にゐて    健美

開け放った新殿に、紅葉までが吸い寄せられた。こんな素敵な句会が持てたのも、武彦さんが句会場を見つけ出し、ガイドを付け、お弁当を運び、机をならべ、空のお弁当を片付けてくださったからである。

與田幹事秋風捌きつつ巡る    宏己

  2011年9月
月11日、倉敷で「宏己のぶらりぶらり」という名の吟行があった。ぶらりぶらりと肩の力を抜いて、しかし、心の目は季節のうつろいを見逃さない、という吟行である。空には秋の雲が掃かれているが、蔵町は残暑が厳しい日であった。

秋の陽を零して日傘かたむけり   悦男

ぴちぴちの若い女の子以外は皆、日傘をさしている。私も先輩のお姉さまがたも御多分に洩れず、である。しかし、日傘くらいでは防げる暑さではない。

木蔭てふ小さな秋へ入りけり    ひとみ

大原美術館のロダンの像のそばの大樹の蔭に入って、やっと一息つく。地元の私たちは、お金を払って美術館へ入ることはせず、モネの池から株分けされた睡蓮を見て、あの名品に思いを馳せるのである。

色二つ浮べ水澄むモネの池     純子

それはそれは可愛い黄色と紅色であった。小さな秋そのものである。

アンソロジーの合評会場のアイビースクエアのレストランへ急ぐと、はるばる津山から来られた牛二さんが、中庭を見ながら冷房の中で涼んでおられる。

行きついたあたりを右折秋の旅   牛二

まだ蔵町の地理に疎い牛二さんにとっては、路地はまるで迷路なのだろう。飄々とした句柄を主宰の宏己先生は褒められた。

は、合評会が活発に終った後、いつもの句会場のジャズ喫茶アベニューへ電話すると、生演奏の最中、しかも大音量だというので困った。ほかに閑古鳥の鳴いている茶房を誰もしらない。すかさず、旅の達人純子さんが、「さっき貰った倉敷物語館のパンフレットに、300円で和室が借りられると書いてあった」と連絡をとってくれる。これである。この雰囲気が「宏己のぶらりぶらり」のいいところなのである。

江戸時代に建てられた蔵屋敷で、長屋門に和室がある。茶室の造りになっている。なんとこの小さな茶室を飛び入りで貸してもらえた。みっちり2時間、私たちは静かな環境で句会に興じることができた。

紅葉見る小さき木椅子をゆづられし    宏己

まだ青葉の町に近い蔵町であったが、楓の梢がうっすら紅葉しているのを俳人が見逃すわけがないのであった。

美観地区の白鳥の子ども